御仏壇の各部名称

御仏壇の各部名称は以下のとおりです。

仏壇各部名称

仏壇名称

御仏壇の設置場所について

御仏壇の設置場所については、特に厳格な決まりはありません。仏間があれば仏間が一番よろしいでしょうし、なければ床の間やリビングなど、ご家族がお参りしやすい場所ならばどこに置かれても結構です。上置き型のものであれば、タンスやサイドボードの上などに置かれてもまったく問題ありません。宗教的な意味合いを除けば、直射日光があたらず、湿気の少ない場所、冷暖房の風が直接当たらない場所がよろしいでしょう。

むしろ気をつけていただきたいのはお仏壇を設置したときの高さです。座ってお参りされる場合は、ご自分の目線よりも若干高い位置に御本尊が来るように、立ってお参りされる場合は、ご自分の胸の位置よりも若干低い位置にご本尊が来るように設置してください。

御仏壇の方角について

お仏壇を設置する方角、向きについては昔から諸説ありますが、どの説も絶対的なものではありません。設置する場所と同様、お参りしやすいかどうかを最優先に考えればよろしいでしょう。設置方角についての諸説を以下にご紹介します。

【本山中心説】

絶対的な方角(東西南北)ではなく、本山の位置を中心に方角を決めるという説です。気をつけなければならいのは、お仏壇を本山に向けるのではなく、お参りする人の視線の延長線上に本山がくるように向けるという点です。家および宗派の総本山の位置関係によって、どの方向にもなり得ます。

【南面北座説】

御仏壇を南向きに設置するという説です。御仏壇に直射日光が当たらず風通しも良いため、御仏壇のためにはこの方角が最も適していると思われます。

【西方浄土説】

西方浄土とは極楽浄土を意味します。これも本山中心説と同じく、極楽浄土のある西の方角へ向かって拝めるよう、御仏壇は東向きに設置することになります。

御仏壇の日々のお手入れについて

御仏壇は日々の正しいお手入れによって、その美しさを長く保つことができます。とはいっても、そんなに難しいことではありません。正しい方法で毎日お手入れして、お仏壇と末永くお付き合いください。

基本的には「毛払い」(埃掃除用のはたき状のもの)にて、目立った埃を中心に御仏壇全体を軽くはたく程度で結構です。特に金箔部分は非常にデリケートですので、強くこすったり水で拭いたりすることは避けてください。サビなどの原因となります。

金仏壇の塗りの部分、または唐木仏壇は数日に一回程度、軽く乾拭きしていただくとなおよろしいでしょう。また、塗りの部分は指紋が付きやすいので、直接触れてお手入れする場合は手袋などをされるとよろしいでしょう。

宗派別の御仏壇の祀り方

御仏壇の中心(須弥壇)には仏像(あるいは掛図)を祀ります。それが御本尊です。そしてその御本尊の両脇に祖師像などの掛図を安置します。これを脇掛けといいます。この御本尊と脇掛けの種類は宗派によりことなります。一般的な宗派とその祀り方は以下のとおりです。

宗派
脇掛左
御本尊
脇掛右
真言宗
不動明王
大日如来
弘法大師
禅宗一般
道元禅師
釈迦如来
達磨大師
曹洞宗
常済大師
釈迦如来
承陽大師
臨済宗
普賢菩薩
釈迦如来
文珠菩薩
日蓮宗
大黒天
日蓮聖人(曼荼羅)
鬼子母神
真宗大谷派(東)
南無不可思議光如来
阿弥陀如来
帰命尽十万無尋光如来
浄土真宗本願寺派(西)
蓮如上人絵像
阿弥陀如来
親鸞聖人像
浄土宗
法然上人
阿弥陀如来
善導大師
天台宗
伝教大誌
釈迦如来又は阿弥陀如来
天台大師

 

 

金仏壇の始まり

仏教が一般庶民に説かれるようになるのは、鎌倉時代のこと。比叡山延暦寺を開いた伝教大師最澄の弟子たちが、仏教の教えを積極的に庶民に説いてまわりました。
法然は浄土宗を、法然の弟子の親鸞は浄土真宗を、道元は曹洞宗、栄西は臨済宗、日蓮は日蓮宗をそれぞれ開きました。こうして庶民へ仏教が浸透していきました。

また、鎌倉時代には、禅僧達によって中国の儒教の祭具だった位牌が日本に持ち込まれまれました。
中国では「神主」などと呼ばれていて、祖廟の棚に置き、名前などを記入した紙を貼って、先祖を祀る道具でした。

そして室町時代の中期のこと、浄土真宗に連如という指導者があらわれました。
連如上人は仏教の信仰を深めるために、皆が「仏壇」を持つようにと説き仏様を祀る場所としての「仏壇」を庶民が持つようになりました。これが金仏壇の始まりと言われています。

唐木仏壇の始まり

室町時代に蓮如上人が金仏壇を広めた後、江戸時代初期ごろになると幕府はキリシタン信仰の禁止を打ち出し、すべての庶民がどこかのお寺の檀家になるようにと寺請制度を作りました。それと同時に檀家は必ず仏壇を持つことを命じられました。

こうして仏壇をもつ家庭が爆発的に増えることにより、仏壇も多様化の道をたどります。
金仏壇の他、黒檀や紫檀などを材料に使った唐木仏壇が登場します。
浄土真宗以外の宗派ではこの唐木仏壇が主流となり、仏壇を仏様を祀る場所としてばかりではなく、民間信仰と融合し、ご先祖様を祀る場所と考えるようになり、浄土真宗とは異なる発展の仕方をするようになります(それまでは仏壇は御本尊を安置する場所という意味合いが非常に強かったのです)。
ここでようやく先祖を大切にする日本古来の風習と結びつき、位牌や過去帳などを置く今日の仏壇の基礎ができたのです。

お仏壇の扉、開ける?閉める?

ほとんどのお仏壇には扉がついています。この扉、普段はどうしておくのが正しいのでしょうか。
これには厳密な決まりというものは無いようですが、基本的に開けておいた方が良いようです。
長期の留守や大掃除で埃などが気になる場合は閉めていただいたほうが良いでしょうが、
それ以外は基本的に開けっ放しでよいかと思います。

また、家庭に不幸が出た時はお仏壇の扉は閉めるものだという話をときどき耳にします。
これはおそらく神道からの影響なのでしょうが、仏教ではそういうことはありません。
神道の世界では、死者はけがれたものという考え方があります。
そのため、不幸が出た場合は神棚に白い紙を張り、拝礼をしてはいけないとされています。
しかし、仏教にはもともとそんな考え方はありません。
むしろ、そんな時こそお仏壇をおまいりして、お仏壇の中のご本尊に亡き人の導きをお願いしましょう。
尚、宗派や地域の慣習などにより、基本的に閉めておくとされているところもあるかと思います。
そういう場合は、その慣習に従われるのが良いかと思います。

不安な場合は、お寺様にお尋ねいただくのが一番確実でしょう。

仏壇の日

毎月27日が「仏壇の日」と制定されています(全日本宗教用具協同組合が制定)。
その由来は日本書紀にまでさかのぼります。
西暦685年3月27日、「諸國(くにぐに)の家毎に佛舎を作り、即ち佛像と経とを置きて礼拝供養せよ。」との勅令が天武天皇のもとに発布され、以来仏壇を拝むようになりました。
これにちなんで、3月27日を「仏壇の日」と制定、後に毎月27日へと拡大して今に至るそうです。
尚、当然のことながら、西暦685年の3月27日は旧暦なのですが、仏壇の日は新暦で制定しました。毎月27日には、お仏壇の掃除などをしていただけるとよいのではないでしょうか。

お仏壇を買ったら・・・

お仏壇店で仏壇・仏具を購入すると、お寺様に来ていただき、いわゆる「魂入れ」と呼ばれる儀式を行うことが一般的です。宗派により「開眼供養」、「入仏」など呼び名は異なりますが、儀式の内容につきましてはお寺様とご相談ください。
場合によってはお寺様で執り行うこともありますので、その際はお仏壇をお寺様まで運ぶことになります。当店でご購入いただいたお仏壇に関しましては、お寺までの運搬も責任を持って無料で行いますのでご遠慮なくお申し付けください。

次男や分家にお仏壇は不要?

一般的に、「自分は次男だから、私は分家だから」といった理由でお仏壇をもたれない方が多くいらっしゃいます。しかしながら、このことに宗教的な根拠は一切ありません。そもそもお仏壇はご家庭のお寺。ご先祖様への感謝の心をこめて、そして家族を見守ってくださるようにとの気持ちからおまつりするものです。
確かに年に数回の法事で本家に行きお仏壇に手を合わせることはあるでしょうが、常日頃からご先祖様への感謝の気持ちをあらわすためにも、自らもお仏壇をおまつりすることは非常に大切なことです。
大切なのはしきたりや風習、様式ではなく心です。
分家・次男など家の続柄やしきたりにとらわれず、自由な心でおまつりしてください。

数珠の起源

昔お釈迦様が国中に疫病が流行って困っていた波流離国の王に「百八の木の実をつないでいつも手にして心から三宝の名を唱えなさい。そうすれば煩悩が消え、災いもなくなり、身も心も楽になるでしょう」と語ったことが記されています。これが数珠の起源であるとする説が有力です。お釈迦様の教えが経典となって広く世界に流布するのは、お釈迦様が涅槃に入られてから五百年ほどたってからですが、その間に数珠も数の概念や、一つ一つの珠に意味づけがされ、経典にも説かれて、仏教の法具として欠くことのできないものになっていくのです。

それでは、数珠が日本に伝わったのはいつなのでしょう。仏教が中国から日本に伝来したとき、数珠も一緒に入ってきたとされています。正倉院には聖徳太子が愛用していたという蜻蛉玉金剛子の数珠や、聖武天皇の遺品である水晶と琥珀の念誦二連が現存しています。すなわち天平年間には数珠が伝えられていたことになります。それが仏具として僧侶以外の一般の人々にも親しまれるようになったのは鎌倉時代以降のことです。

数珠の功徳

数珠には一体どのような功徳があるのでしょうか。昔より数珠には如意宝珠のような除災招福の神力があるとされ、持っているだけで魔よけになるのです。数珠にはそういう功徳が備わっているのです。信濃の善光寺台本願では今日でも、ご上人が本道に参詣されるときの途上、道にしゃがんでいる信者たちの頭を数珠でなでる「御数珠頂戴」の行事が毎日行われています。これも数珠の功徳をいただく習慣のひとつです。

数珠の珠の数について

数珠の珠の数は百八が基本です。この数は除夜の鐘の数と同じといえばピンとくるかと思いますが、人間の限りない欲望と執着の量を表します。それと同時に百八の諸仏・諸菩薩の姿でもあります。百八の半数である五十四(半連)の珠数は悟りにいたる菩薩の修行の段階である五十四位を、二十七(四半連)の珠数は二十七聖賢を表します。また、百八を三分の一、六分の一にした、三十六顆や十八顆にもそれぞれの意味があるのです。他にも四十二、二十一、十四顆の珠数があります。オーソドックスな珠数は、親珠二、子珠百八、四天四、記士二十、浄名一、露四があり、合計百三十九顆にもなります。その一つ一つに意味があっての百八なのです。

珠の素材について

珠にはいろいろな素材があります。代表的なものをご紹介します。

【菩提樹】

お釈迦様がその下で悟りを開かれたという菩提樹。その実で作られた数珠は尊ばれ、経典にも「無量の福、最勝の益」を得ると説かれています。数珠の功徳を説いている『仏説校量数珠功徳経』には、外道を信じている男が「緒仏にどのような力があるのか」と亡くなった息子を菩提樹の根元において七日間仏の名を唱えたところ、その息子が蘇ったので、それから菩提樹は延命樹と呼ばれるようになったと説かれています。星月菩提樹、金剛菩提樹、鳳眼菩提樹、龍眼菩提樹・天竺菩提樹などの種類があります。

【木の実】

木の実の数珠は年を経るごとに、手垢がつくほどに、そのつやを増していきます。手にした人のこころがつやを出すといわれています。機の素材では、紫檀や黒檀、松、梅、鉄刀木などがあります。木の実では蓮の実が多く使われます。蓮の実には千億倍の功徳があると経典に解かれているように、仏教を象徴する植物です。

【宝石】

宝石には瑪瑙、珊瑚、真珠、植物の樹脂が化石になった琥珀や、瞑想の手助けをするという瑠璃など多数あります。神秘的な緑の光を放つ翡翠も、太古から霊力の宿る宝石として邪気をはらう働きがあるとされています。『陀羅尼集経』で「一切仏菩薩金剛天などの法に通用する」と説かれているのは水晶です。「あらゆる報障を叙滅し、一切の悪業染着すること能わず」と記されています。

腕輪数珠について

昨今若い方たちの間で流行しているのが腕輪数珠。魔よけのアクセサリーとして、あるいは恋愛成就のお守りとして、手首に腕輪数珠をするのがブームとなりました。「好きなタレントがしているので」「なんとなくおしゃれだから」といった理由からですが、根底には無意識の仏教への憧れがあったのかもしれません。その腕輪数珠、お釈迦様の晩年、遠く各地に不況に出かける高弟たちに愛用していた菩提子の数珠を肩身として分け与えた珠の少ない略式数珠が始まりだといわれています。形見として分け与えられたものだから常日頃肌身離さず身につけておきたいと考えた高弟たちが、腕輪とすることを考え出したそうです。

宗派別念誦解説【天台宗編】

一般的に使われている数珠は、片手数珠が基本です。
片手数珠はいわば略式の数珠で、宗派を問わずご使用いただけます。
その一方で、宗派別に正式な数珠もそれぞれ用意されています。
宗派別の数珠は基本的にその宗派の人しか使用することができず、
宗派により形状や使い方が異なります。

天台宗の珠数の基本は主珠108個、母珠1個、浄明珠に丸玉10個、平玉20個というのが基本です。この平玉(ミカンのような形の玉)が天台宗用数珠の特長です。また、補処の玉が1個、記子留が1顆づつ加えられています。 イラタカ珠数を使うのも天台宗の特長で、これは修験道からの影響を多分に受けているためです。
持ち方は房を下に垂らすように2連にしてかけ、そのまま右手を合わせます。

宗派別念誦解説【浄土宗編】

浄土宗の数珠の特長は、二つの輪をひとつに繋いだような形状、いわゆる二連念誦とよばれる形にあります。
輪ちがいの念珠を房を下に垂らすように左手に掛け、そのまま右手を合わせます。

一般的に用いられる上記の数珠のほか、多くの人によって繰られる1080の珠を連ねた「百万遍の大念珠」、道具荘厳服を着た場合に用いる水晶などの念誦「道具念誦」、親玉から房を垂れず別に金属で作った小環を入れ、環より弟子珠を入れた房を垂れた「日課念誦」、携帯用の三十六顆を連ねた珠数など多数の種類があります。


宗派別念誦解説【浄土真宗編】

浄土真宗の数珠は他宗派の数珠とは根本的に異なります。その特長は房の形状で通称「蓮如結び」。
浄土真宗の珠数は念仏の数取りに用いるのではありません。また、煩悩を断つ、功徳を積むために用いられるわけでもなく、礼拝恭敬、仏事勤行のための法具としてのみ用いられます。そのため、弟子珠を上につめて数の取れないようにし、下の房を巻き上げて結んであります。これが「蓮如結び」です。

数珠の持ち方は本願寺派(お西)と大谷派(お東)で異なります。
本願寺派は、房を下に垂らすように2連でかけそのまま右手を合わせます。
大谷派は、両方の親珠を両手の親指と人差し指の間ではさみ房は上から下に垂らします。


宗派別念誦解説【真言宗編】

真言宗の念珠の顆数は108個が基本です。親珠が二個、両方の房に10顆づつの記子を加えます。親玉から七顆目、二一顆目に四天があります。

また、「片繰り念珠」(半繰念珠)という、54顆の念珠があります。この場合は一個の親珠、親珠より親玉から七顆目、二一顆目に四天があります。 そして母珠から房を垂れ、10顆づつの記子をつけます。

真言宗珠数の基本は、「振分珠数」とも呼ばれ、八宗在家珠数としても使われることがあります。

持ち方は、両方の手の中指にお念珠をかけそのまま手を合わせます。房は上から自然に垂らします。


宗派別念誦解説【日蓮宗編】

日蓮宗のお念珠は、二本の親玉の一方に房が3本ついているのが特徴です。
日蓮宗ではお題目を唱える時、「記数の念珠」(108顆)を用います。これには母珠が二つついており、一方の親玉には20個の記子があり、中間で一度結んであります。もう一方の親玉には5個づつの記子と記子留とを列ねた二つの紐があり、また、別の一紐を垂らして、それに十顆の玉を連ねて(記子留なし)あります。
日蓮宗数珠の持ち方は、まず八の字型にねじり両手の中指に掛けます。その際右側に房が2本、左側3本房がくるように持ちます。

宗派別念誦解説【曹洞宗編】

108顆が禅宗の念珠の基本です。
曹洞宗では母珠、向珠四天の間に十八個づつ通されており、さらに108環金という輪が通されています。
持ち方は、房を下に垂らすように2連にしてかけそのまま右手を合わせます。

宗派別念誦解説【臨済宗編】

108顆が禅宗の念珠の基本です。
臨済宗、黄檗宗では親玉二個、片方の親玉は十個づつの記子がついており、五個目のところで一度結んであります。臨済宗には輪は通されていません。
持ち方は、房を下に垂らすように2連にしてかけそのまま右手を合わせます。

数珠が切れたら・・・

数珠は使っているうちに、破損することがあります。紐が切れる、房が取れる、劣化する・・・。このような場合は、新しいものに買い換える前に当店にご相談ください。数珠の専門職人が一つ一つ丁寧に修理を行います。

数珠が破損することは縁起が悪いことだと思われがちですが、そのようなことは一切ありません。むしろ、悪縁が切れたという吉兆であるとも言われています。

腕輪数珠であれば400円〜、片手数珠であれば1,200円〜修理を承っております。

良い数珠は修理すればいつまでもお使いいただけます。大切な思い出が詰まっている数珠、是非とも修理して末永くお使いください。

※破損の箇所や程度によっては修理できない場合がございます。


数珠の日

日本数珠製造会により、「数珠の日」というのが制定されています。
10月10日(じゅじゅ)。
語呂合わせで大変覚えやすいかと思います。
大切な法具としての数珠は、信頼の置ける日本製を用いて、思いをこめようという趣旨で制定されています。
特にこの日に何をするという決まりがあるわけではありませんが、ご先祖様を偲ぶきっかけとして広く広まることを願います。


線香は何から作られる?

線香の香料には大きく分けて植物性のもの、動物性のもの、それに香水などがあります。これらを調合して香りを決めていき、染料によって色をつけていきます。

天然の香料には人為的には増やせない植物性の伽羅、沈香、動物性の龍涎香や麝香(ムスク)と、人為的に増やせる白檀や桂皮、丁字などの生薬、また香水などにも使われるローズや柑橘系の香油があります。基剤として用いられる椨粉は、東南アジアに産する常緑樹の樹皮を乾燥させて粉上にしたもので、匂い線香に用いられています。お香も線香も基本的に変わりはなく、お香用の天然の香木も高級線香の香料のひとつとして配合されます。高級な線香ほど、高価な天延の成分が使われています。

香木、香料について

では、線香の原料となる香木や香料について、一般になじみのないものも多くありますので、主なものを説明しましょう。

伽羅

(きゃら)

一般に香木の中では最高級の品とされ、ベトナム、カンボジアの特定地域で産出されます。沈香の中でも最上級のものだけが、伽羅と呼ぶことを許されています。非常に貴重で、その価格は1グラム3万円とも言われています。水の中では完全に沈み、香木そのものが匂いを発し、燃えやすく透明に近い油焦げがでます。元の木によって香りや色が異なり、甘味、辛味、酸味が絶妙に絡み合ったものが最高とされています。

沈香

(じんこう)

沈丁花の樹木の幹、根、枝などに樹脂が集まって固化したもので、自然に倒れ朽ちた木のその部分を取り出すものと、人工的に幹を傷つけ樹脂の集まるものを待って取り出す方法があります。前者のほうが品質がよく、東南アジア、インド、中国南部で産出されます。

沈香と伽羅の中簡に沈梗と呼ばれるものもあります。伽羅、沈香、沈梗は色や香りからそれぞれ選別されます。一般的に沈香は水に浮かべても沈み方が浅く、炊いたときにはやや不透明なこげ茶の油がでます。また、これら沈香類には、鎮静剤としての効果があることもよく知られています。

白檀

(びゃくだん)

香木の一種ではありますが、沈香と異なり常温でも甘くさわやかな香りを発し、特に幹の中心部に香りの大変強い部部があります。

インドのマイソール州のものが最上とされ、老山白檀と呼ばれて珍重されます。その他インドネシア、トンガ、オーストラリアでも産出されます。

桂皮

(けいひ)

辛味が強く甘い香りのする樹皮で、ベトナムや中国の広東、広西で産出されます。解熱、鎮痛薬としても利用されています。

丁子

(ちょうじ)

丁子の木の蕾を乾燥させたもので、腹痛、吐き気、シャックリ止めとしても利用されます。

ザンジバル、南アフリカで産出します。

大茴香

(だいういきょう)

ダイウイキョウ(シキミ科)の果実を乾燥したもので、八角茴香とも呼ばれています。中国南部(広西・広東・雲南・福建省)で産出されます。中華料理の香味付けには欠かせない香辛料で、薬用としては健胃・興奮・駆風薬として用いられます。

安息香

(あんそくこう)

アンソクコウノキ(エゴノキ科)の幹を傷付け浸出した樹脂。スマトラで最も多く産出されます。薫香料として用いられるほか、薬用としては古くは吸入薬として刺激・去痰薬にし、 防腐剤などにも利用されました。

乳香

(にゅうこう)

ニュウコウジュ(カンラン科)の幹から浸出した樹脂で、アフリカ東北部・アラビア海沿岸部・ソマリアから産出されます。キリスト教の儀式における焚香料としても知られています。薬用としては鎮痛・消炎薬として閉経痛・打ち身などに応用されます。

竜脳

(りゅうのう)

リュウノウジュ(フタバガキ科)の心材の空隙に結晶として析出します。 スマトラ・ボルネオ・マラヤより産出されます。薫香料や防虫剤として用いられ、日本のマルコ山古墳からの出土品に含まれていて、その芳香が認められて話題になりました。薬用として中国ではこれを高貴薬とし発汗・去痰薬としました。

麝香

(じゃこう)

麝香鹿の雄の包皮腺から取り出されます。強い悪臭を放ちますが、薄めると艶やかで好ましい香りにかわります。日本ではムスクの名で広く知られています。麝香鹿はネパール、チベット、中国の雲南省にいますが成長した雄鹿一等から20グラム程度しかとれず、大変貴重な香料です。

龍涎香

(りゅうぜんこう)

抹香鯨(マッコウクジラ)の胃からとる香料で、大変甘い香りを放ちます。これもごく少量しか取れないため、大変貴重で高価な香料です。

貝香

(かいこう)

螺属(まき貝)の蓋。中国南海、紅海に産し主に保香剤として用います。現在は南アフリカのモザンビーク産の物も使われています。

線香ができるまで

まず、各種の漢方原料を、伝来の「調合法」に基づいて計算し、染料や香油も分量を量って用意します。軽量の終わった夫々の原料を混合し、篩いを通してゴミや固まりを除き、もう一度正確に計量します。
次に練機に入れ、湯を注いで練り合わせ、染料を混ぜいれます。練りあがった線香を、玉締機で成型し、空気抜きを行います。油圧によって押し出された線香を盆板で受けて切断していきます。これを隙間なく干し板に並べ移し、ローラー型の刃物で寸法切りします。
干し板を四十枚ほど積み上げて自然乾燥し、おおよそ乾燥したところで板を落とし、線香の反りを矯正します。ここで時間をかけてゆっくり自然乾燥させないと、香りが飛んでしまいますので、非常に大切な工程です。干しあがった線香の幅をはかり、一定の重量ごとにイソ紙(紙テープ状のもの)で巻き上げ、さらに貯蔵して香りが安定するのを待ちます。高級品ほど長時間寝かせ、よりまろやかな香りに仕上げます。

最後にバラつめ、進物用など多様な目的に合わせて箱詰め、出荷します。最終的な品質管理はこのときで、出荷を前に念入りな商品のチェックが行われ、市場に出されて店頭に並ぶのです。

ろうそくはなぜ燃える?

点火で解けたロウがまず芯を伝ってあがります。これは毛細管現象とばれるもので、最初の一滴が上がっていくとあとは凝集力によって続いて行きます。ロウ自体は燃えませんが、真の先まで上がったロウは高温のためガス化して炎となります。ろうそくを消した直後、立ち上るロウの蒸気に火を近づけると、ポッと火がつくのはそのためです。

ろうそくが芯に沿って下へ燃えていかないのは、溶けたロウが炎を消してしまうからです。ろうそくをさかさまにすると、溶けたロウが芯に沿って流れ、炎は消えてしまうのです。


炎の大きさと燃焼時間は反比例の関係にあります。よいろうそくは質や太さと芯の計算が正確にできていて、バランスがきちんととれています。また、埃や不純物は芯を目詰まりさせる原因となり、裸のろうそくはホコリを吸着する性質を持っていますから、ろうそくは箱に入れて保存することが大切です。 よいろうそくは、いつも一定の明るさで、一定の時間、すすけずに完全燃焼します。

お香の日

4月18日は、お香の日とされています。 その由来は、日本書紀まで遡ります。
日本のお香について、日本書紀には「595年の4月、淡路島に木片が漂着した」と記されています。
この木片が今で一般に言われる「沈香」だったそうです。
島民がその木を焼くと良い香りが当たり一面に広がり、その木片は朝廷に献上されました。
その木片で聖徳太子が観音像を作ったとも言われています。
今でも淡路島ではその香木をご神木として枯木神社に祀ってあります。
これがお香に関する最古の記録になり、その記述に基づき「香」の字をその書き順から縦に分解して「一十八日」と読み、
4月18日を「お香の日」としました。
尚、淡路島は今でもお香、線香が産業として非常に盛んで、
老舗の香堂も多数あります。

ローソクを供える意味は?

 

ローソクの灯りには「燃焼する炎」を「周りを明るく照らす光」の二つの要素があります。
それゆえローソクを供えることは「炎で周りの不浄を清め」「煩悩の間に光を当てる」意味があります。
さらにローソクの明かりはご先祖様と現世の私たちを結ぶ架け橋です。
この灯りによってご先祖様は彼岸から此岸にやってくるし、私たちが彼岸に行くときも灯りに導かれるのです。
ローソクをともすことは静かな無の境地で仏に祈り先祖に感謝の誠を捧げるために素直な自分の心を導き出す大事なプロローグの儀式です。
どうぞまごころをこめて良いローソクをお供えください。

位牌と過去帖

位牌と過去帖はどちらも故人の戒名、俗名、享年などを記し、お仏壇に祀ります。役割は同じです。

位牌や法名軸は代数を重ねると数が増えて置ききれないという事もある上、古くなると煤けたり老朽化などで判読不能になるため、ある程度の年忌を境にお寺で処分してもらうことになります。

過去帳(かこちょう)とは、寺院で、所属している檀家で亡くなった人の戒名(法号・法名)、俗名、死亡年月日、享年などが書かれている帳簿を言います。多くは折り本形式。その為、過去帖とも書きます。

どちらをお使いになるか、厳密な決まりはございませんが、浄土真宗では御位牌は作らずにこの過去帖を用いる場合が多いです。浄土真宗では、阿弥陀如来の本願により亡くなった人はすでに浄土に往生しているとされるので、故人に対する回向という概念がなく、位牌を用いた追善供養は原則として行わないからです。

一度お寺様にご相談の上、お決めになるのが良いでしょう。

白木の位牌

白木位牌とは、葬儀の時祭壇の上に安置する位牌です。四十九日の本位牌できるまでは、故人の魂は白木位牌に入っております。

お寺様にもよりますが、白木の位牌は、葬儀から中陰(四十九日)迄の仮のものと言われております。四十九日法要をめどに、塗り、又は、唐木の本位牌に作り変えます。
但し、しきたりで、「一年間はそのまま置く」というお寺様もございます。
詳しくはお寺様にご相談下さい。

仏教では、四十九日まで故人の霊の行く先はまだは決まらず、彷徨っています。
なので、仮の白木位牌を使うのです。

最終的に白木位牌はお墓まで持っていきます。白木位牌は、野位牌とも言い、葬儀の際に用いる野辺送り用の仮の位牌です。

白木の位牌は、四十九日まで、本位牌と一緒にお世話になっているお寺へ行って、白木位牌の魂抜きと本位牌の魂いれをしていただきます。

位牌の安置位置

位牌はお仏壇の上から二段目の場所に安置します。
位牌が複数ある場合は、向かって右側から亡くなられた順番に安置します。
仏様の世界では向かって右側の方が、位が高くなるからです。
ご本尊の前は空けておくのが望ましいため、極力ご本尊と重ならないようにしましょう。

位牌がたくさんあって置ききれない場合は、次の3通りの方法があります

 

1.一つ一つのお位牌を、ご先祖様のお位牌として“回出位牌”(くりだしいはい)にまとめる。

2.「○○家先祖代々之霊位」のお位牌(本位牌)をご用意し、一つにまとめる。

3.50年を一区切りとし50年以上前の方は過去帳に戒名などを記し、先祖代々の位牌(回出位牌か本位牌)と一番近い方のお位牌(本位牌)にする。

 

尚、浄土真宗の場合は位牌は必要ではなく、過去帖を用います。

焼香の回数

焼香の回数は宗派によって違います。同じ宗派でもお西は一回、お東は二回です。真言宗では、身・口・意の三蜜で三回です。浄土宗も三回ですが、仏・法・僧の三宝を敬い、貧・瞋・痴の三毒を清めるためという意味になります。しかし、葬儀などで参会者が多いときなどは心をこめて一回にとどめるのがマナーです。
尚、線香のときは、数珠を左の手首に掛けて、火は左手で扇いで消し、香炉に立てます(真宗では線香を適当な長さに折って火をつけ、香炉に横に寝かせます)。
焼香台の前に進み出て、本尊あるいは遺影を仰いで頭を下げ、香をつまで香炉へ焼香します。頭上にいただいてすることは無く、胸の辺りに軽く押し頂くようにすればよいでしょう。焼香には自らを清めるという意味もあるため、焼香の後始めて合掌礼拝して元の席に戻ります。遺族席へは焼香の前に目礼すれば十分です。

「法名(ほうみょう)」と「戒名(かいみょう)」

「法名」と「戒名」はいずれも仏教徒としての名前を表す言葉ですが、浄土真宗では「法名」、他宗では「戒名」といいます。戒名は厳格な規律(戒律)を守って仏道修行する人々につけられる名前です。それに対し、浄土真宗では、阿弥陀様が人々を浄土へ迎えるというはたらきを「法」と呼び、その人々へつける名前を「法名」といいます。

戒名には「信士・信女・居士・大姉」などがつきます。これは修行生活の形態を表す位号です。一方法名では「釋○○」のみです。浄土真宗ではみな等しくともに浄土への道を歩むという教えだから、位を分けることはしないのです。

お盆は7月? 8月?

一般的にお盆といえば8月というイメージが強いようですが、熊本では7月にお盆を迎える家庭も珍しくありません。

お盆って、実際何月にするのが正しいのでしょう。

結論から言うと、どちらも正しいのです。
実は、今日ではお盆は3種類あります。
「今日では」ということは、昔はどうだったのでしょうか。、いつ3種類になったのでしょうか。

江戸時代まではお盆といえば「7月15日」。日本全国これだけでした。
ところが明治になり新暦が導入された時点で

@7月という暦を重視して、新暦でも7月をお盆にするところ
A新暦に変更はするものの、時期を重視して一ヶ月遅らせて8月にお盆をするところ
B新暦に変更せず旧暦の7月15日にお盆をするところ

の3パターンに分かれたのです。

旧暦盆の場合は旧暦での換算ですので、毎年違った日にお盆を迎えることになるのです。

忌と喪、そして命日

人が亡くなった火を命日または忌日(きじつ)といいます。祥月命日というのは、故人の亡くなった月日と同じ月日のことです。忌日の数え方は、初七日(七日目)、二七日(ふたなぬか、十四日目)、三七日(みなぬか、二十一日目)、四七日(よなぬか、二十八日目)、五七日(ごなぬか、三十五日目)、六七日(むなぬか、四十二日目)、そして四十九日、百か日となります。
四十九日までの七週間が中陰(中有)と云われ、遅くとも四十九日目までには死者は極楽浄土へたどり着くとされ、そのため七日目ごとに追善の供養を行うものと考えられています。供養を行うたびに私たち生きている者達が現世での徳を積んでいくことになり、亡き人ばかりでなく、追善供養は生きている私たちのためにも大いなる意味を持っているのです。
七週間の中陰が過ぎると忌明けとなります。忌とは死者のけがれをつけている期間をさし、喪は喪服を着て故人の冥福を祈る期間を指します。
喪の期間中は、両親の場合百か日を数え喪中として年賀状を控えたり、正月の飾りなども差し控えることとされています。
中陰の間は仏壇の前に仮の壇を置いて礼拝します。

お盆の行事

お盆は、正式には「盂蘭盆会(うらぼんえ)」という仏行事の一つです。お盆の由来はインドの盂蘭盆経の中に詳しく記されている有名な逸話に始まります。
お釈迦様の高弟の一人であった僧、日蓮の母親が我鬼道に落ち、その母を救う方法を日蓮がお釈迦様に尋ねたところ、全ての弟子たちに祈念をし供養をするように命じられたということです。無事天上界へ上った母親を見て人々は歓喜し、踊り狂ったそうです。これが「盆踊り」の起源ともされています。その日が旧暦7月15日であったわけです。
今ではこの日を中心に様々なお盆の行事が行われます (現代のお盆の時期の違いについては「お盆は7月?8月?」をご覧ください)。
13日に迎え火をたいて精霊を向かえ、霊前に季節の初物を供え、灯明を点じ線香を上げて供養をし、15日に送り火をたいて再び送り出します。
迎え火のほう方法は各地によって様々ですが、家の門でオガラを燃やして迎える地方、墓地まで出かけてお供えをし、線香を上げ、盆提灯をともして精霊を導き迎えるところ、近くの川畔で線香をたき、香煙に霊を移して迎えるところもあります。
煙あるいは火や水は昔から神仏と交流するための手段の一つであり、山の頂上で火をたく大文字焼きも、天に近いほうがより通じると信じられていたためと思われます。
お盆の行事は純粋に仏教行事としてだけでなく、古くからの民俗信仰が結びついています。厳しい生活の中で、災厄や悪疫から身を守るため神仏に向かって祈り、祀りをより大きく派手なものにしていったことが伺われます。

お彼岸

語源はサンスクリット語(梵語)の「波羅密多(ばーらみたー)」という言葉で、「彼の岸へ至る」という意味をあらわします。煩悩や迷いに満ちたこの世を「此岸(しがん)」というのに対し、悟り(仏)の世界を「彼岸(ひがん)」といいます。この世から川向こうの悟りの世界へ渡るために、教えを守り行いを慎む期間とされていたものが、春分の日と秋分の日に結びついてお墓参りなどをする年中行事となったといわれています。
現在は、春分の日と秋分の日を中心として前後3日の計7日間を「彼岸」とよび、この期間に仏様の供養をする事で極楽浄土へ行くことが出来ると考えられています。西方極楽浄土の信仰と結びついた日本独自の仏教行事です。最初の日を「彼岸の入り」、真ん中の春分の日・秋分の日を「彼岸の中日」、最後の日を「彼岸明け」といいます。

さて、お彼岸のお墓参りですが、お盆のように特に決まった行事や飾り付けをすることは少なく、一般的には中日かその前後に家族でお墓参りに出かけることが多いようです。
家庭では仏壇を掃除し、お花や季節の果物やお菓子等を供え、ご先祖様や故人の供養をします。
また、春のお彼岸には「ぼたもち」、秋のお彼岸には「おはぎ」をお仏壇に供えますが、これは名前は違えどどちらも同じものです。季節の花に由来して、牡丹の花の咲く春は「牡丹餅」、萩の花の咲く秋は「御萩餅」という名前がつけられたようです。さらにお花のイメージとして、ぼたもちはこしあん、おはぎは粒あんで作るそうです。ちなみに「国民祝日に関する法律」によりますと、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」、秋分の日は「先祖を敬い、亡き人をしのぶ」と定められています。

法要と年忌

一般的には「法事」という言葉をよく使いますが、住職にお経をあげてもらうことを「法要」といい、法要と後席の食事も含めた行事を「法事」と呼びます。 そもそも法要とは、仏になった故人を供養するという意味の仏教用語で、追善供養ともいいます。法要は故人を偲び、冥福を祈るために営むものです。
また法要は、故人が設けてくれた人と人とのご縁、「この人がいたから自分がいる」というつながりを再確認し、故人への感謝の思いを新たに、自分自身を見つめ直す場でもあります。
仏教では法要を行う日が決まっています。
死後七日ごとに四十九日まで行う忌日法要(きびほうよう)と、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌などの年忌法要(ねんきほうよう)です。
仏教では、死後七週間はまだ故人があの世とこの世の間をさまよっているとされています。この四十九日間を「中陰(ちゅういん)」と呼んでいます。死後七日目から七日ごとに七回、閻魔大王(えんまだいおう)をはじめとする十王から、生前の行いに対してお裁きを受け、四十九日目で来世の行き先が決まるとされています。残された家族は故人が極楽浄土に行けるように、故人に善を送る(追善)法要を営むのです。年忌法要は極楽浄土に行った故人がさらなる精進の道へと導くために営みます。
故人は十三の仏様に守られて極楽浄土に導かれ成仏するとされています。十三仏は、初七日 不動明王(ふどうみょうおう)、二七日 釈迦如来(しゃかにょらい)、三七日 文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、四七日 普賢菩薩(ふげんぼさつ)、五七日 地蔵菩薩(じぞうぼさつ)、六七日 弥勒菩薩(みろくぼさつ)、七七日 薬師如来(やくしにょらい)、百カ日 観音菩薩(かんのんぼさつ)、一周忌 勢至菩薩(せいしぼさつ)、三回忌 阿弥陀如来(あみだにょらい)、七回忌 阿閃如来(あしゅくにょらい)、十三回忌 大日如来(だいにちにょらい)、三十三回忌 虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)です。
一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌とつづき、三十三回忌で長い修行の締めくくりとして、故人は菩薩(ぼさつ)の道に入り、「ご先祖さま=守り神」となります。仏教ではさらに、五十回忌、百回忌と続きますが、一般には三十三回忌、もしくは五十回忌をもって「弔い上げ」とし、法事の締めくくりとしています。

年忌法要はいつまでつとめる?

年忌法要はいつまでつとめるか。多くの人が悩んでいらっしゃるようです。
明確な決まりはありませんが、三回忌までは家族や親族のほか故人と縁の深かった方々を招きますが、七回忌以降は次第に招く人を少数に絞っていく場合が多いようです。
年忌法要の回数は、地域の慣習や菩提寺の考えによって異なりますが、一般には三十三回忌か五十回忌をもって、最後の法要の「弔い上げ(とむらいあげ)」とすることが多いようです。

宗派解説【天台宗編】

天台宗は総本山が延暦寺。延暦寺は古くから信仰の山として知られる比叡山にあります。比叡山延暦寺といえば、名前は知っている方が多いのではないでしょうか。宗祖は伝教大師、最澄です。
最澄は804年、唐に国家資格をもつ留学生として留学します。同じ船には国家資格のない僧侶として空海(真言宗の宗祖)も乗っていたといわれています。最澄は天台宗の道場がある天台山で修行をし、帰国します。帰国すると、時代は変わっていました。最澄を重用した桓武天皇は病に臥していたため、最澄は強力な後援者を失ったのです。
最澄は日本に天台宗を広めるため布教します。そして、比叡山に延暦寺を建てるために奔走しますが、生きている間には実現できませんでした。亡くなってから建立の許しがでたのです。のちに延暦寺が天台宗の総本山となりました。
その後、優秀な弟子たちの布教で発展し、天台宗の寺院には日光輪王寺、平泉の中尊寺、上野の寛永寺、長野の善光寺など由緒ある寺院があります。
諸仏諸尊はすべて本仏という考えから、本尊は釈迦如来、薬師如来、観音菩薩など多様ですが、一番多いのは阿弥陀如来です。
経典は法華経を根本として、阿弥陀経、大日経、梵網菩薩戒経なども経典とし、「南無(なむ)阿弥陀仏(あみだぶつ)」と唱えます。

宗派解説【浄土宗編】

浄土宗ははじめて民衆の間で広まった宗教といわれています。宗祖は法然上人。
教えの内容は、「南無阿弥陀仏」と唱えれば救われる、というもので、この教えが非常に民衆に支持され一気に広まったそうです。

法然上人は幼くして父を失ったため、叔父のもとに預けられ、そこで仏教を学びました。その後、すでに一大勢力となっていた比叡山東塔西谷功徳院の皇円のもとで出家。仏道を求めて出家したのですが、当時の比叡山は僧侶が権力闘争に明け暮れていました。法然は真摯に仏道を求める僧侶が集う西塔の黒谷別所で慈眼房叡空に入門し、その後25年間、苦悩しながら仏道を求めつづけました。

1176年、法然上人が43歳のとき、中国の善導大師の「一心に阿弥陀仏の名をたたえて念仏を唱えれば極楽往生できる」という教えに触れ、浄土宗を開宗します。浄土宗の教えもこの善導大師の教えを元にしているといわれています。
「念仏を唱えれば救われる」という教えは、またたく間に人々の間に広まりました。これが比叡山の天台宗から弾圧を受ける結果となり、流罪されます。
1年足らずで許されましたが、京都に戻ることを許されたのは79歳のときです。病床に伏し、80歳で生涯を閉じました。その場所が、現在総本山となっている華頂山知恩院でした。
法然没後、弟子たちによって広められた浄土宗の「念仏を唱えれば救われる」というわかりやすい教えは、民衆の心をとらえ、さらに広まっていきました。
本尊は、阿弥陀如来、経典は観無量寿経、無量寿経、阿弥陀経で、唱える文句は「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」です。

宗派解説【浄土真宗編】

見真大師親鸞聖人が開いた宗派、浄土真宗は現在、巨大教団となっています。
書店に行っても親鸞関連の書物コーナーは必ずといっていいほど設置してあり、それほど親鸞がみなに親しまれているということでしょう。
親鸞は9歳で出家し、比叡山で20年間修行をしましたが、内面の悩みが解消されなかったため山を下りました。京都六角堂に籠って95日目に啓示を得て、浄土宗を開いた法然上人の弟子となり修行を積むことにしました。しかし、法然が流罪となったため親鸞も越後に流罪となります。このとき、僧から俗人に戻る、いわゆる還俗(げんぞく)をし、以後、親鸞は僧の身分に戻ることはなく、「僧に非ず俗に非ず」という「非僧非俗」を貫きます。
越後で妻、恵信尼を娶り、子、信連を設けた親鸞は5年で流罪を許されると、妻子とともに常陸に行き、そこで主著である『教行信証』6巻を著します。この年を立教開宗の年としています。親鸞52歳のときです。
浄土宗と浄土真宗の決定的な違いは、自力か他力か、という点でしょう。
「南無阿弥陀仏」と唱えれば誰でも、死後、浄土で仏になることができると説く「自力念仏」の浄土宗と違い、浄土真宗は「南無阿弥陀仏」と唱えれば、必ず極楽浄土に行くことが約束される「他力念仏」なのです。
90歳で親鸞がこの世を去ると、浄土真宗は衰微していきますが、第八世蓮如によって再興します。その後は本願寺を本山として、巨大教団に発展します。
浄土真宗はその後、本願寺派、大谷派、田派などに分かれています。そのなかでも本願寺派と大谷派が大きく、本願寺派の本山が西本願寺であることから「お西」と呼ばれ、大谷派の本山が東本願寺であることから「お東」と呼ばれています。
本尊は、阿弥陀如来、経典は観無量寿経、無量寿経、阿弥陀経で、唱える文句は「南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)」です。

宗派解説【真言宗編】

真言宗の宗祖は空海。空海という名よりも弘法大師という名の方が有名でしょうか。「弘法にも筆の誤り」とことわざにもなっているほどの筆の達人です。日本全国あらゆるところで「弘法大師も訪れた」と、弘法大師との縁がある観光地があります。
真言宗は真言密教とも言い、護摩壇で護摩木を焚くことで知られています。「即身成仏」を教えの根本としています。これは密教の修行をすれば、誰でもただちに仏になることができるという教えです。
804年、31歳のとき、空海は最澄と同じ船に乗って唐に行き、唐の恵果和尚に入門します。恵果和尚は1000人を超える弟子がいるなか、空海に会うなり、「私はあなたが来るのを待っていました。すぐに密教の奥義を教えましょう」と言ったそうです。
帰国後の空海は、最澄とまったく立場が逆転します。書の達人だった嵯峨天皇に重用されて、高野山に金剛峰寺を建立し、真言宗を開きます。空海は当時の天皇や貴族たちに支持されるだけではなく、土木事業を行うなど民衆のために働いたので、民衆からの人気も高い僧でした。
その後、真言宗は分化し、多くの派が生まれています。
本尊は大日如来、主な経典は大日経、金剛頂経です。「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」と唱えます。

宗派解説【曹洞宗編】

曹洞宗は臨済宗とともに、禅宗に分類されます。
禅宗といえば、すぐに「座禅」を思い浮かべるほど、日本で定着しています。
曹洞宗と臨済宗で共通する部分は座禅で悟りを開くこと、師から弟子へと教えが伝わることを重要視している点です。
異なる点は「座禅」の仕方。臨済宗については、臨済宗編にて詳しく説明しますが、曹洞宗では壁に向かって座って、座禅をします。「黙照禅(もくしょうぜん)」といって、ただひたすら座禅に徹する、つまり「只管打坐(しかんたざ)」することをそのまま悟りとする教えです。
この教えを広めたのが高祖・承陽大師道元。8歳で出家後、12歳で比叡山に入り、天台座主、公円のもとで出家します。その後、禅宗の建仁寺で、栄西の高弟、明全に師事し、23歳のとき、明全とともに宋に留学します。
中国で臨済宗が上流社会と交流するのに疑問を感じた道元は、ただひたすら座禅に徹する曹洞禅を学んで5年後に、明全の遺骨とともに帰国します。
俗塵を嫌った道元は、雪深い福井に永平寺を建てます。一時、北条時頼の招きで鎌倉に移りますが、すぐに永平寺に戻って隠棲し、出家至上主義をつらぬいて、54歳の生涯を閉じました。
道元から4代目にあたる太祖・常済大師瑩山(けいざん)がその後、大衆教化につとめ、現在、日本最大の寺院数を誇る巨大教団となっています。
曹洞宗では道元を宗派の父、瑩山を母にたとえ、両祖を宗祖と仰いでいます。本山は永平寺と総持寺(横浜市)です。ご本尊は釈迦如来です。
経典として用いるのは、法華経、金剛経、般若心経などと、道元が著した正法眼蔵です。
「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」と唱えます。

宗派解説【臨済宗編】

曹洞宗とともに禅宗に分類される臨済宗。
臨済宗では禅を行うとき、臨済宗は通路に向かって座ります。「看話(かんな)禅(ぜん)」といって、師匠によって与えられた問題「公案」に弟子は身体全体で取り組み、悟りを開くとされています。
この「公案」がいわゆる「禅問答」のことです。いまではむずかしい問答、訳のわからない問答といった意味に使われていますが、悟りにいたる重要な課題として「公案」を使っています。
臨済宗は師から弟子へと伝えていくことを重んじますので、それぞれの寺院が独自の流派をもっています。妙心寺(京都市)、建長寺(鎌倉市)、円覚寺(鎌倉市)、南禅寺(京都市)などが臨済宗として有名な寺院です。
禅宗はインドの達磨によって520年、中国に伝えられました。ダルマは開運の縁起物として知られていますが、それは達磨が中国河南省少林寺で面壁9年の修行を行ったところからきています。壁に向かって9年間座禅を組んだため、足が腐って無くなってしまったため、ダルマには足がないのだそうです。
達磨から11代目の臨済義玄が臨済宗を開きました。宋に留学した栄西禅師が1204年、京都に建仁寺を建立してから、日本に臨済宗が伝わります。しかし、京都は天台宗が力を持っていたので、なかなか広まりませんでした。
禅宗を広めたのは、中国から来た僧が1248年、鎌倉幕府の執権、北条時頼の全面的な支援を受けてからです。鎌倉に建長寺を建てて、禅堂での日常規範を定め、禅寺の基盤をつくりました。
1279年、北条時宗に招かれてきた中国の僧は、蒙古との戦いで命を落とした武士の追善供養のために円覚寺を建てました。次々と禅宗のお寺が建てられた当時の北鎌倉はまるで中国街のようだったそうです。建長寺と円覚寺は現在にいたるまで、禅の道場として有名です。
本尊は釈迦如来です。
特定の経典は定めていませんが、教化には金剛般若経、観音経、般若心経、大悲呪、座禅和讃などを用いています。
曹洞宗と同じく「南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)」と唱えます。

宗派解説【日蓮宗編】

日蓮宗は、宗祖・日蓮聖人の名を宗派名にしている唯一の教団です。本尊に向かって「南無妙法蓮華経」と題目を唱えれば、悟りがおのずから得られると説きます。
日蓮は12歳で天台宗清澄寺に入り、16歳で出家。21歳から比叡山、園城寺、高野山などで11年間修行します。その後『法華経』こそ救いのよりどころとなる唯一の経典であると確信し、1253年に立教。
しかしその後は順風とは決して言えず、「松葉谷の法難」「小松原の法難」など数多くの難にあいました。「伊豆の法難」では「法華経信仰によって国土の安穏をはからなければならない」と説いた「立正安国論」を当時の執権北条時頼に提出すると、鎌倉幕府に危険視され伊豆に流罪されます。
「龍の口の法難」では、佐渡に流罪される途上、暗殺されそうになりました。しかし、稲妻によって奇跡的に難を逃れたのです。
1274年、ようやく許された日蓮は山梨県身延山に隠棲して弟子の育成にあたり、60歳の生涯を終えました。身延山に建立された久遠寺が総本山となっています。
本尊は曼荼羅です。
経典は法華経で、唱える文句は「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」です。

香典返し、どれくらい返す?

一般的には仏式の四十九日に当たる五十日祭の後香典返しを行ういます。
その香典返し、いったいどれくらい返せばよいのでしょうか。
これももちろん厳密な決まりはありませんが、一般的には半返し、三分の一返しと言われております。

なくなった方や相手の方によっても異なり、
例えば一家の大黒柱がなくなった場合は一般の場合よりも多く、
また、相手が親戚の場合にも多少は少なくなる傾向にあります。
ですが、とくに必ずそうしなくてはならないと言うわけではなく
そのようにしておけば、「失礼無い」と言う目安です。

品物は、すぐに使えるものが喜ばれ、使われずにしまい込まれてしまうものは敬遠されます。
感謝の気持ちを伝え、かつ実用的なものであれば、金額はそれほど重要視しなくて良いようです。


北枕、縁起が悪いって本当?

一般的に、「北枕は縁起が悪い」という話はよく聞かれますが、これは本当なのでしょうか?
おそらくは臨終勤行のときのご遺体の向きが北枕であることから、このようにいわれているものと思われます。そして臨終勤行のときに北枕とされているのは、お釈迦様が亡くなられたときに頭が北向きのお姿だったことに習っているといわれています。
死を忌むことから北枕は縁起が悪いこととされ、死者の極楽往生を願い遺体を安置する際のみ許されている、ということでしょう。
しかしながら今では臨終勤行の際の北枕の風習も薄れているようです。
住宅事情も関係してか、北枕を徹底するのは難しくなってきています。
形よりご本尊を中心にして、心持ちを大切にすることが第一でしょう。

したがって、北枕が縁起が悪いというのも、現代では全く気にする必要はないでしょう。


生前に戒名がもらえるの?

昨今、生前に戒名をもらう、という方が増えてきています。
一般的に戒名(浄土真宗では法名、日蓮宗では法号)はなくなったときにつけてもらうもの、というイメージが強いかと思います。
しかし本来は、生前に授かる仏教徒としての名前が戒名であり、生前にもらうのが正式なのです。
したがって、生前に戒名は当然もらえますし、そのことになんら問題はありません。
ご自分の納得のいく戒名をつけたい、家族に負担をかけたくない、などの理由で昨今注目を浴びています。
尚、生前戒名にて御位牌をつくることも可能です。
生存中から作って安置供養するお位牌を「寿牌」といい、戒名の中の二字に朱を入れます。
これも生前戒名と同じく、ご自分のお好みの御位牌を十分吟味して選べる、家族に負担をかけたくない、
などのメリットがあります。


戒名(法名)に上下はあるの?

これ、皆さん結構「ある」と思われているようですが、それは大きな誤解です。
正式な戒名は生前の俗名や経典にちなんで二文字で表されます。
これはどのような身分の人でも、仏の世界では平等であることを意味します。
院号や位号は仏の尊称であり、生前に寺院や社会に対する貢献度によって区別されるのです。
従いまして、戒名や法名に上下、優劣は一切ございません。


お墓参りはいつすればいいの?

一般的にお墓参りをするタイミングは
・命日
・お盆
・お彼岸
です。

命日は、死去の当月当日である祥月命日と、亡くなった日にあたる毎月一回の月忌とがあります。月忌は仏壇にお花を供えるくらいで(もちろんされるのが理想的です)、一、三、七、十三、十七、二十三、二十五、二十七、三十三周忌には法要を営みます。特に、一周忌、三周忌、十三周忌、十七周忌、三十三周忌には、墓前の法要を営みたいものです。通常、年忌では、お寺、もしくは自宅に僧侶を呼び、お経を唱えてもらい家族そろってお墓参りを行います。

お盆は、霊を死後の苦しみから救済するための仏事として行われます。地域によって7月のところと8月のところがあります。13日に迎え火を焚き、16日におくり火を焚いて送り出します。

彼岸は、迷いや苦悩に満ち、この世(此岸)に対して悟りの世界、すなわち浄土を表します。また、彼岸会の略という意味もあり、春分・秋分の日を中日とした前後の7日間に仏事を行うことを指します。日本独自の仏教行事です。

お墓参りの作法

お墓参りにはこれといって特別な作法はありませんが、一般的な手順があります。まずは掃除です。お墓に行ったらまずはお墓をきれいにしましょう。そして、線香、灯明、供花を供えます。そして御参りをしますが、一般的には年長者から、つまり祖父、祖母、父、母、長男・・・の順番で行います。御参りはまずは水をかけ、線香を上げてから合唱礼拝をします。このかけ水は、墓石を清めるという意味もありますが、仏教では亡き人に施す食べ物としての意味があります。御参りの作法としてはこの程度です。実際にお墓に持っていくものとしては、線香・供花・ろうそく・マッチ・供えもの・掃除道具・ゴミ袋・手桶とひしゃく・ハサミ等、そして数珠です。数珠以外はお墓で販売、準備しているものもありますので確認してみるとよいでしょう。

全国にお寺はいくつあるの?

よく、「お寺はコンビニより多い」といわれますがこれは本当です。
文化庁平成23年の統計によると日本中にあるお寺の数は、82,309ヶ寺。コンビニの倍です。
都道府県別で見ると、愛知県が最も多く、ついで大阪府、3位が兵庫県、4位が東京都、5位が滋賀県、6位が京都府となっています。宗派別では、最も多いのが浄土宗・浄土真宗などの浄土系で3万ヶ寺以上を占めます。ついで禅系、真言系、日蓮系となっています。

参拝の作法

神社参拝時の基本的な作法について解説します。
まず、最初に境内に入って鳥居を入るときは、神殿に向かって一礼してください。神殿に向かって参道を歩くときは、中央(正中といいます)は避けて、右側か左側を歩くのが礼儀です。
さて、参拝をする時は、身も心も清める必要があります。そのために、参拝前に手水舎(ちょうずしゃ、てみずしゃ)で、口をすすぎ、手を洗うことで、心身を清めます。
手水の作法は次項を参照してください。
身も心も清浄になったところで、神前に向かいますが、ここでも正中を避けて歩きます。神前に近いところで、中央に立ちます。
神社には、賽銭箱があります。また、鈴を掛けています。普通、賽銭を投げ入れて鈴を鳴らしてから、拝礼します。
神社に参拝する時の拝礼の作法は、「二拝二拍手一拝」あるいは「二礼二拍手一礼」といいます。二回礼をし、二回手を叩き、一回礼をするのです。
@まず、軽く礼をします。(これは45度身体を折り頭を下げる深揖(しんゆう)というもので、これからお参りさせていただきますという気持ちを表します)
A直立の姿勢から深々と90度に身体を折り、頭を下げます。これを二回行います。これが、二拝です。
B次に拍手をパンパンと二回打ちます。このときの注意は、両手を胸の高さできちんと合わせ、右手を少し引いて拍手を打ち、再びきちんと合わせて願いを込めます。これが、二拍手です。
C最後に、両手を下ろしてもう一回深々と90度に頭を下げます。これが一拝です。
D軽く45度の礼をして終わります。

文章にすると長くなりますが、やってみると意外と簡単。
毎日参拝していると、あたりまえのように何も考えずにできるようになります。

意外と知らない手水の作法

神社に行ったら入り口付近に必ずある手水舎(てみずしゃ)。
通常は流水施設に柄杓が置かれており、皆さん手を洗い清めていると思います。
この手を洗う際の作法、実はよく知らない方が多いのではないでしょうか。

まずこの手水舎の由来について。
古来より、水は「罪(つみ)」や「穢(けが)れ」を洗い流すものと考えられており、元来は、境内近くの自然の川や山の湧き水を利用して身を清めていたようですが、現在では境内に人工的に設けられた手水舎を利用するのが一般的です。

そして気になる手水の正式な作法ですが、
1.はじめに左手を清める。
2.次に右手を清める。
3.左手に水を受け、口をすすぐ。
4.再び左手を清める。
5.柄杓(ひしゃく)を縦に持ち、残った水で柄(え)を洗い流す。
というのが正式な一連の作法になります。

家庭の神棚には何をおまつりする?

家庭の神棚には伊勢の大神宮様、氏神様、そして信仰する神様の御神札をおまつりします。
天照大御神さまは人々のために衣食の道を広め、世の中を明るい自愛の光を持って照らすとされています。
氏神様はその地域をお守りする神様です。
また、人間は誰もが死後は祖霊に加わり、家の守り神となって子孫を守るとされており、先祖代々の霊はみな祖霊舎におまつしり、一家の繁栄を祈ることが大切であるといわれています。

神棚の設置場所、方角について

神棚の位置について、厳格な決まりはありません。明るく、家族全員親しみ易い所、拝礼のしやすい場所で南向きに置くのが良いとされていますが、さほど気にする必要はなさそうです。ただ、神棚を仏壇と同じ部屋に置く場合は向かい合わせにしないのがルールです。
神棚の方角については、部屋の北側に安置し南方に向けるか西側 に安置して東方にむけるのがよいとされています。

御神札のおさめ方

神棚は正面中央を最上位、次は向かって右、その次が左となっております。
中央に伊勢の大神宮様、向かって右が氏神様、左はその他の信仰する神社の御神札をおまつりします。
神棚が小さい場合は信仰する神社の御神札を重ねて、一番表に伊勢の大神宮様の御神札をおまつりします。
先祖の祖霊舎は神棚より少し下げて別に設けます。

おそなえの仕方

おそなえは、心のこもったものを供え、感謝をささげてから後にそのおさがりをいただきます。
そうすることにより、ご神威をいただき神得にあやかることができます。
具体的には、毎朝少なくとも米、塩および水の三品をお供えします。
さらに初物や到来品が手に入ったとき、また食物に限らず例えば家の人が就職したときなどの辞令、免状、また家庭で新しく作り出した品物などもお供えして報告し、感謝を捧げ新しい努力を誓います。
祖霊舎には、たとえばタバコのように故人の好んだものもお供えして結構です。
神棚や祖霊舎は絶えず清浄にし、榊は枯れないうちに取り替えましょう。御神札は年々新しくお受けします。もとの御神札は氏神様におさめます。

「拝」と「礼」

神社のお参りの作法は「二礼二拍手一礼」や「二拝二拍手一拝」などといいます。
どちらも行為としては同じ。二回頭を下げ、二回拍手し、一回頭を下げる、ということです。
では、この「拝」と「礼」はどのように違うのでしょうか?

「拝」とは腰を90度折り曲げる最も丁寧なお辞儀のことです。
これとは別に「揖(ゆう)」というものがありますが、「揖」とは「拝」に次ぐ丁寧なお辞儀のことで、腰を約45度の角度で曲げる「深揖」(しんゆう)と、腰を約15度の角度で曲げる「小揖」(しょうゆう)との二種があります。つまり、腰を曲げる角度の度合いから「拝>深揖>小揖」になるということです。そして「礼」とは、「拝」や「揖」の総称、いわゆるお辞儀する行為全てを「礼」と呼びます。

何故拍手は二回?

神社のお参りの作法の基本「二礼二拍手一礼」。
この拍手の回数には何か意味があるのでしょうか?

これに対する明確な回答は現在のところできません。
ルーツとしてのひとつの説は、明治8年に式部寮から頒布された「神社祭式」です。この中に、官国幣社祈年祭の祝詞奏上や拝礼等についての作法は「再拝拍手」と記されている記述があり、これが現行の「二礼二拍手一礼」という作法の一つの根拠と考えられています。
この「再拝拍手」は、我が国の伝統的な作法である「両段再拝」に基くもので、「両段再拝」とは再拝(2度深くお辞儀する)を2回行うことをいいます。その後、この両段再拝の作法は各流派や神社によって多少の違いを生じましたが、明治8年に編まれた「神社祭式」において「再拝拍手」という形で制定され、これが基本となって、長い時間をかけて「二礼二拍手一礼」という現行の参拝作法が慣例化していったのです。

ほとんどの神社での正式な参拝方法がこの「二礼二拍手一礼」ですが、実は例外もあります。例えば、出雲大社、宇佐神宮、弥彦神社などでは四拍手による拝礼が正式な作法とされており、また、これはあくまでも神職の作法であり一般の参拝者の作法ではありませんが、伊勢の神宮の祭祀では四拍手を2回繰り返す八開手(やひらで)という拍手が行われています。大嘗祭でも皇太子以下は八開手を行うとされており、神道系の教団でも四拍手を正式な作法として採り入れている所は少なくありません(天理教、大本、大和山など)。

しかしこれはあくまで例外。やはり基本は「二礼二拍手一礼」であることに間違いはありません。


お参りのときに手をたたくのはなぜ?

前述のとおり、お参り時には二回拍手をすることになっています。
歴史的にも、拍手は古くから日本独自の拝礼作法として、神様や貴人を敬い拝むときに用いられてきました。拍手は賞賛や喜びを表す万国共通の表現ですが、その拍手が神様への拝礼作法に取り入れられたのは日本だけのようです。
神道における拍手とは、人間がごく普通に表す拍手という表現を儀礼にまで高めたものなのです。ですから、日本の神様は単に怖れ畏む対象ではなく、喜びをともにする非常に親しい存在でもあるといえるのです。

日本の正史である「日本書紀」の第四十一代・高天原広野姫(持統)天皇の四年春正月の条にも、天皇の即位の時、公卿や百寮たちが列をなし、歓喜・喝采して拍手をしている様子が記されています。天武・持統両帝はともに「神にし坐せば(神でいらっしゃる)」と称えられた天皇ですから、拍手は当然の作法であったのでしょう。

また拍手には、喜びや賞賛、神様や貴人を敬い拝む、という意味以外にも、和合の意味もあるといわれています。片手をどんなに勢いよく振ってみたところで音を鳴らすことはできず、掌を鳴らすためには必ず両手が必要であり、ここに、拍手の根本的な精神があり、柏手を打つことの意味が含まれているという考え方です。柏手を打つことは、和合の証でもあるのです。

神棚と祖霊舎(神徒壇)

ご家庭で萬の神様を祀るのが神棚です。
では、祖霊舎(それいしゃ・神徒壇)は何を祀るのでしょうか?
こちらも神様ではあるのですが、正確にはご先祖様(祖霊)を祀ります。
神道では、人間は亡くなると『肉体を司る神』と『心を司る神』の2つの神様になると考えられています。
この2つの神様のうち、『心を司る神』が祀られるのが神徒壇(祖霊舎)です。
子孫を見守る祖霊として家に残ると考えられているからです。
『肉体を司る神』は奥津城と呼ばれるお墓に祀られます、
祖霊は霊代(みたましろ)(仏教における位牌)に移された後、祖霊舎の中に納められます。
神棚で祀られる神様とは全く別の種類の神様ですので、神棚と神徒壇(祖霊舎)、両方お祀りするのが本式なのです。

「神宮」「宮」「大社」「社」

神社の社名で、よく「○○大社」や「○○宮」、「○○八幡宮」などを見かけますが、これらの違いは何でしょうか。
現在では政教分離によりこれらの名前を自由に名乗ることができますが、かつてはそうではありませんでした。
その分類の基準は大まかに以下の通りです。

「神宮」は皇族と深いかかわりを持つ、あるいは天皇を祭神とする神社。
「宮」は皇族を祭神とする神社。
「大社」は、旧社格が官幣大社・国幣大社である神社。
「社」は大きな神社から御祭神を勧請した神社。


いつまでが「初詣」?

年始に行う「初詣」、一体いつまでに参拝すればよいのでしょうか?
正解は、いつでもよい、です。
言葉としては、その年の最初の参拝は全て「初詣」と呼びます。
ですから、12月31日に参拝しても、それがその年の最初の(そしておそらく最後の)参拝であればそれが「初詣」となるのです。
とはいうものの、一般的にはやはりお正月、年始に参拝することを「初詣」といいますね。
時期としては、やはり正月三が日、遅くとも1月10日くらいまで、といったところでしょう。

そして、最初に説明した初詣の意味では、その年最初の参拝のみを「初詣」と呼ぶことになります。
つまり、初詣は一回だけということですね。
しかし、これも一般とはちょっと違います。
「三社参り」という風習もあるように、正月三が日のうちに複数の神社に「初詣」することも珍しくありません。
多数の神社仏閣に参詣すれば色々なご利益があるという説もあります。
すなわち、一般的な感覚からすると、
「正月三が日の期間に参拝すること」
を「初詣」と呼んでよいのではないでしょうか。


 

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